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円山〜上多度志の間です。
この写真は深川を向いてだと思います。
「写真にマウスポインタを合わせると
1996年のほぼ同位置の画像が現れます」 |
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上の写真とは逆の方向の
幌加内を向いての撮影です。
「写真にマウスポインタを合わせると
1996年のほぼ同位置の画像が現れます」 |
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上の写真のカーブ中央にてです。
築堤の脇には「ハエたたき電柱」が
放置してありました。 |
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円山〜上多度志の間のカーブにてです。
写真奥が上多度志になります。 |
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同じくカーブの途中にてです。
カントが急なのが
写真でも分かるでしょうか?? |
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多度志トンネル寸前の写真です。
S字のカーブの連続ですね。
トンネル手前は何故か
マクラギのみが残っていました。
撤去作業の途中だったのでしょうか?? |
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多度志トンネルの深川方の入り口です。
柵の端っこが私を誘っています。 |
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その端っこからトンネルの中へ…。
懐中電灯1つでは暗すぎます…。
入ってすぐ振り返っての1コマです。 |
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多度志トンネルの幌加内方の入り口です。
こちらは柵はありませんでした。
トンネル名を記した看板が
両入り口ともないのは
誰かが持ち去ったのでしょうか? |
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上多度志付近にてです。
橋梁名「多度志川橋梁」だと思います。
トンネルを出てからは下り勾配だったのが
写真から分かりますね。 |
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上の写真を撮った位置から振り返ると
こんな感じでした。
トンネルからは離れてしまっているので
望むことは出来ませんでしたが…。 |
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上に出てきた橋梁名の根拠です。
多分、この橋梁を渡ったのだろうと思います。
キロ程を見ると深川から10キロの場所。
って事はまだ30キロ以上の
道程が残っているってコトですね…。 |
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上の橋梁跡付近の踏切にてです。
「ここは列車は通りません」
って看板さえ捨てられていました。
踏切器具箱の中の物まで散乱してました。 |