1994年6月の歌志内線・歌志内〜砂川の風景 その2

神威駅跡です。
地区の公民館代わりに
利用されているようでした。
冷蔵庫だけが目立っていました。
文殊駅跡です。
駅舎は無くなっていましたが
←ホームへ行く階段が残っていまた。
同じく文殊駅跡です。
ホームを歌志内を背に撮りました。

西歌駅は何故か見忘れていたので
写真は残っていませんでした。
文殊〜焼山間です。
露出がイマイチですが
元写真は空も道床も
キレイに写っているのですよ…。
コンクリートの枠に
マクラギを並べた橋が残っていました。
周りは草が生い茂っていてますが
歩けないほどではありませんでした。
焼山駅近くで撮りました。
歴史が古いから「砕石」ではなく
「砂利」が使われているのでしょうか?
ホームのみ残る焼山駅跡です。
重機でホームを取り壊したのかは不明です。
明治24年7月5日岩見沢〜歌志内間に
空知線が開通、砂川〜歌志内間14.5km
を主に石炭を輸送、地域産業の発展に寄与
してきた。
また、この地にあった焼山駅は昭和22年に
線路班従業員の仮乗降所として始まり、地域
住民の駅として繁栄したが昭和63年4月
24日廃止となり97年の歴史を閉じた。
昭和63年11月24日建立 砂川市長

と、書かれています。
左より中央見える高架橋は道央道です。
その下へ線路跡が
向けて左カーブしていました。
ここのルピナスはオレンジ色で
寂れた雰囲気に彩を添えていました。


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