道内・引込み線です。


1994年「初夏」篇 パート3

手振れ且つピンボケです…。
常紋信号所での風景で
今は使用停止ですが
この頃はまだ
列車の行き違いをしていました。
自分が乗った上川行きが
待避している間に撮りました。
この頃から信号所でしたが
「上越駅」って書かれています。
この時乗っていた列車は
運転士1人、お客1人でした。
深川5時10分発名寄行き。
深名線なのに3両編成です。
その訳は、
一番前が名寄行き
真ん中は朱鞠内止まり
最後部は幌加内止まりです。
幌加内にて撮りました。
深名線は
最後まで非自動区間でした。
後ろ1両を残し
朱鞠内へ向かって発車していきました。
その残った1両が
幌加内発深川行きになるのです。
幌加内駅は廃止後不審火で焼失し
こんな光景も
写真でしか見られないですね。
幌加内駅にて
タブレット閉そく機を撮りました。
左が朱鞠内との機械
右が深川との機械です。
1閉そくが40キロと
他に例を見ない
長大線区だったのですけどね…。
駅事務室で撮らせて頂きまし。
下の「踏切道キロ程」に
『雨煙別駅』ってあるのに驚きです。
時間がいつから止まっているのだろう。
深川行きの発車が近付いたので
駅員さんが信号を扱いました。
信号を引っ張るワイヤーが長いほど
テコに付いている錘(おもり)は
上部に付くって知ってました〜?
駅員さんが扱った
上り出発信号機です。
こんな「腕木式信号機」も
見られなくなりましたね〜。
岩見沢で撮影した
中途半端な写真です。
サボは「快速」で
見えない5両目はキハ40でした。
慌てて撮ったので
記録も記憶も確かではありません…。

1995年8月・深名線 最後の夏 パート1へ続く


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