2001年5月の名寄本線紋別〜渚滑の風景その3

沙留〜豊野の間にてです。
ここは小さい橋梁も残されていました。
珍しいの一言に尽きます。
同じく沙留〜豊野です。
廃止後10年以上なのですが
意外と下草が生えていないのを
不思議と感じながら歩き続けました。
上の写真から少し進んだ位置です。
左には海、右には岡が見え
名寄本線ってその隙間のような場所を
走っていたのですね。
豊野駅跡です。
もはや残骸というのでしょう?
骨組のみ残ったホームが残っていました。
藻興部川橋梁です。
比較的新しい橋なのか
歩行板は綺麗なままでした。
その歩行板を中心に這いつくばって撮影です。
微妙に橋桁の高さが違いますね。
羽幌炭鉱鉄道を思い出させます…。
上の橋梁の塗装表記です。
1981年から20年。
鉄路は剥ぎ取られてしまったけど
橋は今も変わらずの佇まいです。
これも藻興部川橋梁です。
反対側から撮りました。
川が見えないため
何を渡っているのかが分かりませんね。
旭岡駅跡と思われます。
微妙に空いた土地意外は
駅跡を思わせるものは見当たりませんでした。
興部付近の跨線橋にて撮影です。
欄干には『名寄本線』の文字が残っていました。
奥が海なので、興部駅を背にしています。
同じく跨線橋からの写真で
少し角度を変えて撮りました。
右カーブするのが名寄本線跡になります。
同じく跨線橋からの撮影です。
上の写真とは逆に左カーブしている線路
興浜南線跡を見ることが出来ました。
どちらも草むらの中に草むらだったので
写真では見づらくなってしまいました。

2001年5月・名寄本線その2に戻る

名寄本線・探索記録に戻る