1994年6月の上砂川支線・砂川〜上砂川の風景 その3

学校踏切のすぐ先は
「東鶉駅」でした。
コンクリートが崩れかかりの
痛々しいホームでした。
ホームを上砂川方より撮りました。
ホーム外灯も停止目標も残っているのに

寸断されたレールが物悲しいです。
『東鶉』という看板もあのました。
積み上げられたマクラギと線路は
踏切から撤去されたものだと思います。
交通量の多い場所は
アスファルトでの舗装が早かったようです。
上砂川に接近です。

いったいこの鉄路は
どれだけの石炭を運んだのでしょうか?
どれだけの人を支えたのでしょうか??
廃止路線を歩くたびに
そんな事を考えています。
往時ならセキで埋め尽くされていたですが、
側線は無くなって久しい上砂川構内です。
石炭の積み出し施設もなくなっていたので
ただの終端駅にしか見えなかったです。
ホームと駅舎が写るように撮りました。
ホーム中央には駅名標も残っていました。
入換用の線路表示機です。
線路は撤去されたのに
モニュメントのように残されていました。
車止め標識からホームと駅舎を望みました。
安全確認用ミラーがあったポールです。
上砂川駅舎です。
映画で使われた過去もあり
「悲別駅」という別名も持っています。
電話ボックスの反対側に
『悲別駅』という看板が掲げられていました。

駅舎は現在は移転されているようです。

1994.06上砂川支線 その2へ戻る

上砂川支線 探索記録に戻る