1998年5月の天北線 稚内〜音威子府の風景 その1
南稚内付近の踏切跡にて 南稚内駅を向いて撮ったものです。 中央左に建植されているのは 宗谷本線の中継信号機です。 |
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同踏切にて逆の浜頓別側を撮りました。 写真では分かりづらいですが キロポストや諸標識が そのまま残っていました。 |
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この踏切にて上の2枚の写真を撮りました。 「ここは汽車は通りません」 って、死刑宣告されたみたいで 寂しい感じです。 |
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声問駅跡です。 奥が稚内側です。 若干の地面が盛り上がっている場所が ホームの名残なのでしょうか? |
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同じく、声問駅です。 こちらは浜頓別方を撮りました。 駅だったという痕跡がほとんどないですね。 |
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恵北駅跡です。 奥が稚内になります。 1段高くなっているので ホームだった様な気がしてきます。 |
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同じく恵北駅で奥は浜頓別になります。 写真中央から右が線路跡で 左側がホーム跡だと思います。 |
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恵北〜樺岡の間での1コマです。 落石防護壁の内側に生えた 白樺等の木の大きさが 廃止後の年月を感じさせますね。 |
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樺岡駅跡にて北望です。 ただの草むらで 説明しないと何の写真だか分かりませんね。 |
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バス停には駅名標が添えられていました。 本来のホームの位置に 残されていてもらいたかったです…。 |
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沼川駅跡です。 こちらは要望どおり(?)の ホーム跡に駅名標が建っていました。 |
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その駅名標のアップです。 かろうじて読み取れますね。 |