1996年6月の美幸線・美深〜仁宇布の風景
美深駅から歩くこと約6キロ 畑となってしまったので 線路跡はさっぱり分からず 辺渓寸前でやっと遺構を見つけました。 この橋の向こうが「辺渓駅」なのですが 特に痕跡は見つけられませんでした。 |
|
辺渓駅を過ぎると 道道と線路の位置が逆になり 仁宇布に向かって右側になりました。 道道の「辺渓橋」と平行して 美幸線にも橋が架かっていました。 |
|
上の橋を反対側から撮りました。 キロポストも残っていました。 画面では見えにくいですが 美深から「7キロ」地点です。 国土地理院の地図に示されていた この地点付近の「築堤」は 既に ほとんど残っていませんでした。 |
|
まだ草も茂っていなかったので 歩きやすかった線路跡です。 マクラギのみ残ったままでした。 |
|
記録を残していなかったので 地図から推測すると 道道の 「第四仁宇布橋」からの写真でしょうか? この先でまた道道と位置が逆になり 美幸線は ペンケニウップ川に沿って進みます。 |
|
雨降りの中歩いていたら 地元の人に声をかけられ 仁宇布まで連れて行ってもらいました。 なので探索記録も「辺渓の先」なのです。 この写真は仁宇布駅構内を 北見枝幸側から撮ったものです。 シートを被っているのは 「サハネ581」だったと思います。 |
|
逆に美深側から構内を望んでみました。 ホームと小さな小屋があるだけで 駅舎などは残っていませんでした。 ちなみに、この頃は 「トロッコ王国」は未開業です。 |
|
片隅に 「美幸線記念碑」がありました。 記念碑を建てるのだったら 駅構内をそっくりそのまま残したほうが はるかに記念になると思うのに…。 |
|
美幸線の終点です。 ここから北見枝幸までは 砕石が敷き終わっていて あとはマクラギと線路を 並べれば完成だったとか。 歩きたいのですが 平行する道道にはバスがなく 歩いても帰ってこられないのです…。 |